コインで脳トレ解答

<明治初期の貨幣製造>

明治の新政府は、明治元年(①1868)年3月に江戸の金・銀座を収用して、翌月には両座の職人も器具もみな京都へ移しました。5月には(②貨幣司)という役所を置いて、出張所を(③大阪)の長堀におき、幕府時代そのままの形の二分金・一分銀(川常)・一朱銀(川常)を造りました。品位は幕府時代より下品となりました。それも一年で、翌明治2年には金・銀座は廃止となりました。明治2年5月には(④造幣局)の設立を決め、11月には(③大阪)天満宮の淀川沿い旧幕府時代の木材置き場跡地に建造を決めました。同年政府の参与であった(⑤大隈重信)は政府に対し、貨幣の形を方形から円形に変えること、貨幣の単位を(⑥)進法から(⑦)進法に改めることを強調しました。政府はこの意見を取り入れ、貨幣の形を(⑧)形に統一し、単位も「両」から「(⑧)」に切替えました。明治3年にはイギリスのオリエンタル・バンク(東洋銀行)局長の(⑨ウイリアム・キンドル)氏を造幣局局長として迎え、造幣業務を開始しました。同年9月には、銅貨の試作をし、10月には(⑩)貨の製造に成功したので、11月からは本格的な新貨幣の製造が開始されました。